ノヴォロシースク (Novorossiysk)
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古くはギリシャ人の植民地があったことが確認されており、交易の拠点として農産物の積出し港が整備された. 地中海・黒海交易路の最も東に位置するという地政学的重要性から、この都市の支配国は目まぐるしく変化した. ローマ帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が主な例である.
1838年に黒海艦隊の東部基地が建設され、1722年以来その地を支配してきたトルコの要塞Sujuk-QaleすなわちSoğucakに取って代わった. 1918年8月26日からデニーキン将軍の白軍の重要拠点となったが、1920年3月27日にピョートル・ヴラーンゲリ将軍の指揮によって白軍はクリミアへ撤収した. 1942年には、この町はドイツ軍によって占領されたが、1943年9月16日に赤軍によって解放されるまで、ソビエト水兵の小部隊が225日にわたって町の一部を死守した. のちに海軍総司令官となるセルゲイ・ゴルシコフの指揮の下、ソビエト水兵が英雄的な防衛を行い、市の湾入部を保持し続けた. そのためドイツ軍は、補給のために港を使用することができなかった. このことから、ノヴォロシースクは1973年に英雄都市の称号を授与された.
2007年以降、黒海艦隊の新しい母港の建設が進められている(従来の母港はクリミア半島先端のセヴァストポリにあるが、この地域はウクライナ領で、ロシアはウクライナに港の使用料を払っていた). しかし、2014年のロシアによるクリミアの併合によりセヴァストポリが事実上のロシア領となったため、新母港の先行きは不透明となっている.
2022年ロシアのウクライナ侵攻の開始時点では、前線より離れた位置にあり特筆すべき事はなかったが、同年8月にセヴァストポリが攻撃を受けると一転、ノヴォロシースク基地に多数の潜水艦が移動するなど軍事行動を担う都市となった. 同年11月22日、ウクライナのメディアはノヴォロシースク市内の石油ターミナルに攻撃が加えられたと報じた.